西安

 16:10 発の夜行火車に乗車。西安から蘭州までの距離はさ程とは思えないが、一晩掛か
るという。案の定、列車のスピードは非常にゆっくりとしたローカル列車の雰囲気である。
 夜行のコンパートメントは上下2段で向かい合わせの4人1組である。当初、小生の他、英国
人男性2人連れとアメリカ人女性1人が同じコンパートメントであったが、アメリカ人女性に別
の年配の同行者がいることが判明。
         Can you speak English? No, only Japanese.
         ・・・・・ You, one parson, but we are two parsons. So, so ・・・・・.
         Oho! yes. Ok, Change my seat for you.
 なんとも怪しげな会話の後、コンパートメントを隣と交換。今度の連れ合いは中国人の家族。
コンパートメントの扇風機(冷房はない)が故障しており、大変な暑がり様。あまりにも暑そう
だったので窓を開けてあげたら、しばらくして窓を再び閉めてしまってランニングシャツ一つで
扇子を使っていた。その時は変わった人だなと思っていたが、それは大間違いであった。中国人
の一般的所業である。すべてを囲い込んで、他人の目を遮ってしまう中国の人々の生活態度の一
端を垣間見た気がする。建設中の建物の窓を煉瓦で塞いでしまう所業も、この感覚の延長上と考
えれば納得できない訳ではない。
 この中国人のご主人が、小生の読んでいた『古建筑游覧指南』を覗き込み勝手に取り挙げて、
リーベンレンかと話しかけてきた。第2次世界大戦のとき役所に勤務していて日本語を覚えたの
だという。暫く話をする。

16:00 頃 列車は渭水ウェイショイに沿って西走するが、武功ウーコンに程ない所で車窓靠山式窰洞が飛び
込んでくる。列車が走る周囲の地形は相当急なV字型の谷になっているのであろう。対岸の斜面
は、下が不整形の段丘、上部が雛壇型段丘、最上部が切り取った崖に設営された窰洞、中腹は可
なりの巾で斜面を整形中で、5〜6人が横一列に並んで作業をしている風景が観られた。
 宝鶏パオチーを出た辺りの山並みで日没を迎え、天水ティエンショイ を過ぎて眠りに落ちる

 



8/27 

蘭州

 早朝、蘭州着。金城賓館にて書籍の入った荷物を預け朝食を採った後、拉卜楞寺のある夏河シアホー
に向かう。

                            ガイド:謝 静嬢

 年間雨量は蘭州では300 mm、夏河では500 mmであるという。
 吾々の汽車(バス=小型乗用車)は、臨夏リンシア経由で夏河へ。蘭州市街から南へ峠を越えタ
オ川沿いに出た辺りで小さなガソリンスタンドのようなものが目に着く。しかし、これはガソリ
ンスタンドではなくて、洗車場であると聞く。北京では気が付かなかったが、中国各都市は、市
街の車が市域に入るときは、入市直前に洗車することが義務付けられているため、こうした洗車
場が市境に必ずあるという。

 臨夏への道筋の民居は軒の張出が長い。スケッチは一軒の場合と二軒の場合を示す。捶は太い
丸太を用いて、さらにその上に横並びに丸太を置いた上から土を被せている。

 臨夏の街はこの地区では大きな商店街が形勢されている。昼食後20分程度街の中を散策する
が、落ち着いた良い街である。一歩中心街から外れると、緑も豊かで風情がある。

 レストランの前の庭園にはコスモスが咲き乱れていた。写真は中国庭園の四阿としては典型的
スタイルと受け止められているものであるが、以外や、今回のルートの中で小生が見たのは初め
てである。

 臨夏の街の外れで給油に立ち寄る。ガソリンスタンドに人は居るものの、係の者が食事をしに
いって帰ってこないということで、暫く待たされる。そのスタンドの脇が建築現場で、鋼管足場
ではあるが、その本数が少ない事や足場板が緊結されていないことに驚きの念を覚える。

 臨夏は回族の寺院が多い街であるが、彼らの寺は一般に開放されておらず、その独特の雰囲気
を写真に納めることができなかった。回族の女性の多くはスカーフで顔を覆っている。本来、未
婚者は緑のスカーフ、既婚者は黒の、子供ができると白のスカーフを纏い、素顔は晒さないとい
う。また、男性は白の丸帽を被る。三甲(慶河)から先は少数民族の村が多い。

 臨夏より卅里鎮までは比較的緑豊かで、周囲に屋敷林を持つ家も多く、屋根形状は日本の民家
の瓦屋根に似る。しかし、最近のものは片流れが多く、中国的?になっている。スケッチは近年
の民居で片流れの家が背中合わせになったような形式である。

 卅里鎮を抜けて牛津河に入ると緑は激減し、北斜面にはへばり付くように低木が生えている
が、南斜面は急峻なガレ場となっている。この辺りから、街道沿いの商家は回族、集落は西藏
チベット族のものが増えてくる。



 翌朝、8/28。対岸の岡に登る。拉卜楞寺全景を収めるにはここに登るしかないということで、
国内の観光ツアー客が数名登ってきていた。ここで、幾つか撮影ポイントを探す。その一つが宿
坊から礼拝、嘛尼車と一連の作法に則って行動する修行僧り姿と大夏河に懸かる木造橋である。

 山肌を覆う麦畑。斜面の傾斜のままに使用しているのは、基本的に雨水を溜めて使用するとい
う耕作方法ではないことによるものなのであろうか。

夏河シアホー拉卜楞寺ラブロンスー 1710年創建。

 拉薩ラサに次ぐ喇嘛教格魯派のメッカで、聞思を中心として續部上・續部下・喜金剛・時輪・
医薬の六つの学院がある。その建築物は、石あるいは煉瓦積みで白やベンガラ色塗りの壁、壁面
に突き出した窓上庇の捶小口・床根太・陸屋根スラブの下地を構成する捶小口などによるライ
ン、庇上から屋根スラブの間の茴麻の茶褐色が西藏族独特の雰囲気を醸しだす。
 金色の屋根は仏殿。陸屋根は学院である。学僧併せて1,700 〜1,800 名程のうち正式僧が700 名
程度であるという。

嘛尼車

 寺院域全体の最南端、大夏河沿いに建てられた廻廊に嘛尼車が連ねられている。修行僧達は皆
朝一番の作法として、僧坊を出て左右両翼の廻廊に設けられた嘛尼車を廻しながら行く。この嘛
尼車を廻す回数が功徳の量に比例するといわれる。

 大夏河に懸かる橋。両岸から張り出した迫り持ちの間に丸太を架け、板を渡した上に土をかけ
るが、手摺りは無い。想像するに、中央部は増水時に流失することを意図しているものであろ
う。架け換えは容易である。



 学院などの建物の門庇。二軒で、二軒目は扇垂木ととされている。

 学院の外壁上部。天井部分は角材を敷並べた上に板を貼り、さらにその上に丸太を敷並べ板を
貼った二重のスラブを構成し、その上に磚を敷く。その上が屋根の構成部分で、茴麻の小枝を敷
並べ、丸太の屋根スラブに隅扇垂木が配される。西藏チベット建築の特徴的な処である。

 夏河県拉卜楞寺管理委員会の建物の大門。門庇の持送りは禅宗様の木鼻に酷似する。また、地
垂木・飛檐垂木と木負の木太さは中国建築の特徴的部分である。その門庇中央部の朝顔型の電灯
笠が何とも面白い取り合わせである。
 門前では、若い修行僧が水撒きをしていた。
 屋上に溜まった雨水は、屋根スラブぎりぎりの位置に穿たれた排水口からパラペットを突き抜
けた排水用樋によって建物の外部に導かれる。縦樋はない。これは、民居でも同じであるが、寺
院関係の外壁は赤または黄色。庶民の家は白またはグレー。

 茴麻の小枝による外壁上部の構成は、最も西藏チベット建築の特徴的な部分であるが、細かな樹木
の小枝を酥油(牛乳から採れた油)に長時間漬けた後で用いる。その色は酸化鉄による発色
で、茴麻の小枝を敷並べた部分は圧力に耐えるという。

 芸術学院の教師の一行。午前中の業を終えての帰りである。非常によい表情をしている。



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 版築の作業中の写真を撮らせてもらう。基底部数段を石積みにし、その上に土塀を築く。最初
に一定の角度を保たせた足場丸太を建て、それをガイドとし600 mm程度の巾の狭い型枠をずらせ
土を突き固めていく。水は使っていない。
 さらにこの上に仕上げ塗りをする場合もある。

 近辺の集落で見掛けた新築中の民居。土壁の部分は小枝を網代組に編んだ下地を用いている。
煉瓦積みの部分はコーナーの飾積みとでも言った方がよいのかも知れない。木造部との緊結は垂
木が差し込まれているだけである。
 架構は必ず梁と枋の組み合わせにより、垂木の配りは扇垂木。その構成がよく判る。

 回族の民居は一見してそれと判る。赤や黄色の原色やコバルトブルーが目立つだけではなく、
殆ど色を用いていなくても窓や手摺りのデザインねその他が華やいで見える。

 土壁の下地。小枝の網代下地の様子がよく判る。

 近辺の集落で見掛けた軒反りの処理形式。隅の軒を反り上げるのに、先の太くなった隅木を何
本も重ねている。

臨夏 臨夏周辺集落の建物配置方法

 奥家巷以南の山間集落にみる建物配置は主屋を南向き、従屋を西向きに配する。その代表的な
二態を示すが、山間部に建つため、出入口の取り方については若干異なることもある。赤煉瓦、
赤瓦の屋根が目立つ。

 更に南に下ると従屋を東向きに配するものや、西面を塞いでいるものも相当数見受けられる。

        この道中では、けたたましい警笛を鳴らしながら走る車の目の前を、豊かな顎

髭をたくわえ哲学的顔をした自転車人が、意にも介さぬ様子で睨みながら通り過
       ぎる。
        また、白い縦長タイル貼りの2階建て連続商店の建設が各地で見られたが、余
       りにも画一的過ぎる気がして少々白けた。

 蘭州には16:00 頃到着。西安で購入した書籍を運ぶためのキャリーバッグを探す。なかなか思
うようなサイズのバッグが見つからず、町中を歩いている途中で枠鋸を使っている家具職人に出
会い、乞うて写真を撮らせてもらう。

       

 結局2軒目の百貨店でキャリーバッグを買い求めたが、帰国途中の上海

       
空港でキャリー用把手が壊れ、日本に帰って少し多めの荷物を入れたらフ

       
ァスナーが壊れてしまった。一応検査合格証はついていたのであるが・・

       
それでも、1996年現在、修理して使っている。

 この日は金城賓館泊。


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