北京の新村開発

南池子大街 NANCHIZI DAJIE

                      アカシア並木の木漏れ日が美しい。
   東西安街近くには市役所と明代の壁・ワコールとの合弁会社などが建ち並ぶ

方荘地区新村開発

   元は荒れ地で一部平屋が建っていた場所。ここ(1993)2〜3年で急激な開発が進
  む。公司(会社)が一棟丸ごと所有。建設費は公司持ち。従業員に配される。
                 −北京市第一城市建設開発公司『建設中的方荘』−

方荘地区新村開発の超高層住宅群

 現在開発中の新開発超高層住宅群であるが、この最
新の住宅もプランニングを見ると5年以上前に計画さ
れた住宅とさ程変化は見られず、厨房と居間との間に
は便所が配される形式が主流を占めている。また、全
体プランをみても三つ星形が多く、「数の供給」とい
う側面だけが強調された昭和20〜30年代の吾国の建設
事情とよく似ている。恐らく、都市化・工業化といっ
た価値観に範を求める限り、避けては通れない道であ
ろうが、行政と民間の認識のギャップが大きな問題で
ある。                     
 また、こうした新開発超高層住宅群の建設の多くが
外国資本に基づく公司の資金提供に依るもので、当然
入居者はその公司に勤める社員ということになり、一
般庶民には程遠い存在と言っても過言ではない。

   これからの中国にとって、民間の生活様式とレベルアップ速度に合わせた製品管理
  や製造コントロールは必須不可欠のことで、必ずしも急激な改革が善いとは言い切れ
  ない。その点では、産業界を離れた官民一体の開発研究組織が必要になろう。

方荘地区新村開発の中層住宅群

 近年、伝統的屋根の形式を真似た中層集合住宅が建
設され始めているが、かなり高額となり、デザイン的
にも賛否両論。外観的な問題もさることながら、長安
の坊の制度に端を発する閉鎖的(?)生活様式との整
合性、すなわち、外部においての放浪が許される時間
帯は外部で、一定の時刻以降は閉鎖された坊内で、と
いうような感覚がどの時点からどの地域で現実のもの
とされているのか、院子が持つ作業空間としての本来
性(炊事も院子内での作業)がどのように活かされて
いるのか、等が検討される必要がある。

西楡西里の高層住宅(19階)

 築3年。5階以上を若年層の住居として供給。下層
は高齢者住居。エレベーターホールへの通路は狭猥で
あり、室内床はコンクリート。天井は一部剥離がみら
れ、ベランダの袖壁は部分的に剥落しているが、中国
においては住宅を手に入れたら直ぐに改善工事をする
のが常識であると言う。室内装飾業(主に施工業務な
らびに見積業務として)の発展の可能性は非常に大き
い。現在は、特に生産管理、部品管理といった部門が
最も弱点であると言ってよい情况のため、見掛けの近
代化と生活そのものの間のギャップが目立つ。そのた
めか、個人の要求に対する正確な情報提供・見積提供
は殆ど未着手分野と言ってよい。
 ベランダ部分はガラスを嵌め込み、部屋に改造する
ことが多い。


   一般的プランニングをみると、入口ドア内にかなり広いスペースが確保され、すぐ
  に厨房が接続されている。厨房と居間との間には便所が配されるが、この便所の配置
  場所と入口ドア内のスペースは納得がいかない。しかし、最新のプランニングでは異
  なるものも出ている。

ガイド氏談
   農村では、客人に対して美味しそうな匂いをかがせることが最高の遇しであるとい
  う。実際に料理をしているところは余り見せない(主人としては一寸見せたい気もす
  る)が、客が来てから料理を作るのが一般的。


西楡西里地区

 第2環状道路の外側は外国資本の導入など近代化の
拠点として大規模な開発が進められてきたが、開発前
の情况は荒地や低層の工場などであった。現在も開発
未着手部分が残されて、両者のアンバランスが露呈し
ている。


8/15 中国建築学会表敬訪問
  秘書長、副秘書長、胡氏(李氏夫人)と小一時間会談。学生を連れての再訪約す。

協和医院
  東安市場前の清代の病院建築

協和医院−東安市場前の通り
  北京に限らず、中国では路上がレストランや屋台に早変わりし、夜遅くまでごった返
 す。
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