−     西双版納     −     




 9:30 昆明空港を後に西双版納へ。約1時間のフライト。西双
版納は雨であった。宿泊は版納飯店。殆ど客はいない。出迎えてくれた譚先承氏は唯一西
双版納で日本語が喋れるガイドである。翌日、昆明に戻って知った話であるが、呉菲嬢の
先輩であったというが、「学生時代とは変わってしまったようです」との一言。正直のと
ころ、1/3 程度しか言葉は通じなかった。

                  ガイド:譚 先承氏
                      西雙版納中國國際旅行社
                      〒666100 中国雲南景洪戞蘭中路12号
                     日語導游 08838-22032,24021, 22152
                         Fax 08838-25249 


 西双版納は、タイへもミャンマーへもいずれの国境へも150 ]程度で到達可能な地で、
12の行政単位が集まった自治州。允景洪ユンリンホンをその中心とする。現在人口80万人で、タ
イ族と漢族が30%、その他多くの少数民族が住む。その中、景洪県城だけで15万人である
という。
 5〜10月が雨期で、この時期は毎日雨が降っているという。今日も御多分に漏れず朝か
ら雨。1〜2月でも14〜15°C位で非常に気温が高い。まさに亜熱帯の地である。湿度が
高いために気温以上の暑さに感じる。そのためか、午後1時〜3時は社会全体が休息時間
となる。


8/31 譚氏の「先ず、西双版納がどういう土地柄か見てほしい」という要望を受け入れて
春歓公園に向かう。公園内部は亜熱帯系の植物が数多く見られるが、比較的整然としてい
る。また、公園周辺部にはタイ族の民居や畑が散見される。


曼聴仏寺の方丈の建設現場

 竹の足場で、紐で結んである。足場板はただ置いて
あるだけ。

 煉瓦壁はコンクリート打ち込みの型枠設営の前に積
まれる。すなわち、煉瓦は型枠の一部としてそのまま
コンクリートと一体化させてしまう。その方が強度上
からも結合が強く合理的ではある。


曼听村のタイ族民居

 曼听村は現在1,000 人位の人口で、一般の村は300 
人位が普通であるという。とある一軒の家へ入り、中
を見せてもらう。1階部分は煉瓦の柱による吹放し。
2階が住居部分で外壁は上部桁下が塞がっておらず、
風の通りはよさそうである。機能的には大雑把にベラ
ンダ、水場、炊飯・食事スペース、応接・居間スペー
ス、就寝スペースに分けられるが。
 柱は太さ約300 ×400 mmで、基本的に壁による仕切
りをもたない。応接・居間スペースと就寝スペースは
安っぽいフラッシュ扉がついたユニット家具で仕切ら
れ、そこにはテレビ、オーディオセットなどが置かれ
ていた。
 現在家族は5人で、20年位前に5〜6万元位でこの
家を建てたという。炊飯スペースには囲炉裏が切られ
ており、丁度昼食の準備をしているところであった。
是非食事を共にして行けと言われたが、先の予定があ
ると言って、そこでは自家製のお茶を戴くだけで、丁
重に辞退をさせて戴いた。
 そうこうしている中に、女の子が一人学校から帰っ
てきた。話を聞けば、男子は全員が僧侶になるため7
歳でタイ語、5年生位から漢語を習い、大学へ進学す
るのが決まったコースで、女子は最初から漢語教育で
あるという。
 


曼听溌水村の寺院

 桁行6間梁間2間、四面に庇が付く。桁行柱間寸法
は1,950 mm、梁間の柱間寸法は2,945 mm、庇柱間寸法
は3,510mm。門からのアプローチは平側で、一見平側
正面のように思われ勝ちであるが、実際の正面は妻側
で、仏壇は身舎奥の2間、仏壇左の庇には僧侶が並び
座る台座が設けられる。また、正面の出入口は、庇中
央の柱の左側、裏側への出入口はそれと対称となる。
周囲の壁は、壁上部と軒桁の間を開放し、通気性を高
めている。


 一度景洪に戻り、新華書店へ行く。小生が本を探していると、一人の女性が「日本の方
ですか」と声を掛けてきた。思わず「日本語が分かるのですか」と聞き返していた。「よ
く蒙古人と間違われますが、私は日本人です。一ヵ月日本語のない旅をしていたら日本語
が恋しくなって、つい・・・」ということでした。誠に失礼を致しました。これも何かの
縁。昼食を共にすることにし、曼聴路のレストラン街へ。彼女が語るには、友達と二人で
香港から上海に渡り、上海で友達と別れての一人旅。一日100 元以内で生活し、そろそろ
お金が無くなってきたので帰る予定。この旅をするのを機会に会社を辞めてきたのだとい
う。「結局、私の中国語は通じませんでした」とのこと。日本の女性も強くなったもので
ある。ご無事で。


 瀾滄江ランツァンチアン(メコン河)の橋を渡り、景洪大橋北の村曼角マンチアイ の曼閣佛寺を訪れ
る。曼角はメコン河沿いの仏都で800 有余年の歴史を持つ。この近辺の建築工事に用いる
材木はミャンマーからら運ぶことが多い。


曼閣佛寺

 1447年建立の本仏寺の平面は梁間2間桁行6間の妻
入りで、一際大きな柱間を持つ四面庇付きである。門
から直廊を経て妻の中央柱右側の正面出入口に至る。
仏壇は正面身舎奥の2間。桁行中央の間に司祭が登る
壇があり、左の庇部分に恐らくその他の僧侶が座する
のであろうと思われる壇がある。その上には小さな赤
色天窓があった。後背部の出入口は丁度正面と対称で
中央柱の左側に設けられ、吹放しの作業空間を挟んで
僧房へと導かれる。
 架構は至って単純明快かつ豪快で、身舎部分は径約
600 mmの16本の丸柱で支えられた大空間を演出してい
る。身舎部分の梁は2間ごとに、庇は各柱間ごとに設
けられるが、正面庇だけは機能上の配慮であろうか、
中央部の梁が架けられていない。
 屋根はすこぶる急勾配で、身舎は切妻と見紛うよう
な入母屋、庇は四方葺き下しのスレート葺き。庇の取
付け所は非常に高い。また、身舎の中央部分は更に屋
根が一段高くなっており、妻側採光と換気のため一部
開口とされている。
 なお、軒先の鼻母屋は出し桁で支えられ、周囲の壁
は、通風の配慮から最上部が開放されている。
 


 調査を始めたら、何処からともなく曼角の村の女の
子が二人やって来て、野帳を覗き込み始めた。此処で
も、子供たちは言葉は通じないものの、手振り身振り
で手伝ってくれる写真を撮ってあげたら非常に喜んで
いた。是非とも写真が欲しいというので、持参してい
たインスタントカメラをガイドに渡して、現地で現像
して貰うことにする。


 曼角の村の民居はいづれも2階建で、1階吹放しの
部分は、車・自転車・バイク・リヤカーなどといった
ものの車庫として利用して、生活は全て2階部分で行
う。実際の食事や団欒は2階テラス部分を用いること
が多い。殆どの建物が開放的なのに、塀に竹矢来を組
んでいる家があるのには驚いた。


 村の中で写真を撮っていたところ、一人の青年が隣に良い被写体があると呼ぶので、行
ってみたら、豚を潰している最中であった。しかし、その解体作業をしている青年は照れ
まくって逃げるので到頭写真にすることはできなかった。しかし、そこには家族や隣人の
笑いの渦が起こり、心和む一時ではあった。


 曼閣佛寺に戻ると、さっきの女の子が服装を換えて
戻ってきた。写真を撮るのだから正装してきたのだと
言う。


 曼角からMengyang鎮モンヤンチェン 最古の仏寺がある曼春満寨子を訪れる。途中の山には、ゴ
ムの栽培と聞いたが、等高線に沿って植樹されているため、上空から見た山肌は異様であ
る。


曼春滿佛寺

 1126年の建立と伝えるが、柱下礎石の形状からする
と明代の建築と推測される。永年修理がなされず、そ
れに文化大革命が追い討ちをかけたこともあって、酷
く荒廃してしまったのを1980年に大々的に修理したも
のだという。そのために、身舎の半分近くの柱は石に
換えられている。
 平面は身舎部分が梁間2間桁行5間、四面に2間の
庇が付いている。すなわち、梁間6間桁行9間という
ことになる。身舎両サイドの中央柱は直接棟木を支え
る。思わず「何これ」と言ってしまいそうな大きさで
ある。柱間は等間隔を基本とするが、外周のみが僅か
に狭い。


 梁間の架構は、身舎において梁間方向の架構のみ、
桁行方向の強度は母屋のみ、下屋で繋梁軸方向に強化
するといった具合で、身舎と庇でそれぞれに異なる形
態を採る。


 Mengyang鎮の土産物屋に立ち寄る。何も買わないに
も係わらず彼らは温かく迎えてくれた。ガイドの話に
よれば、彼らは相当の金持ちであるという。1階には
ホンダのバイクと軽トラックが置いてあった。暫し雑
談をしたが、その間に椰子の実を剥いてくれた。


 景洪に戻り、早めの夕食をとることにする。ホテル
の食事を予約してあるというが、余り美味しくはなか
ったと言ったところ、それでは有名なレストランに案
内すると言って着いた店がここ。毛虫がテーブルの上
を這っていました。しかし、確かに美味しいし、ガイ
ドと小生はビールを飲み、ドライバーは茶水であった
が、3人でたらふく食べて35元でした。
 日本で考えるレストランとは大きな違いがありまし
たが、これもまた乙なものでした。


 西雙版納の旅程を終えて、17:50 フライトの便に乗るため空港へ。しかし、空港内は薄
暗く、窓口が開いている様子も見られない。ローディングボードを確認するも当該時刻の
フライトは見当たらない。西雙版納中國國際旅行社に電話を入れて確認したところ、フラ
イト時間は21:45 と判明。「中国ではよくあるよ」というガイドの言葉に、小生は思わず
「予約番号が分からずブッキングされていないと騒ぎになったこともあるよ」と呟いてい
た。そういえば、北京の『発展中心』に送ったファックスも本人には届いていませんでし
た。その後、版納空港の係の女の子に散々からかわれていたガイド氏でした。


 3時間近く時間を潰した後、漸く機上の人となる。

 約1時間のフライトで昆明空港へ。呉菲嬢が空港で出迎えてくれる。その日は、そのま
ま昆明飯店新館へ。明天見!



9/1  昨日迄で一応研修旅行を終え、今日は中国土産を購入のため、呉菲嬢の案内で先ず
はカセットテープ販売店に。現在、昆明で聞ける良いテープは香港のものが多いという。
地元の歌を中心に、現在昆明で流行っている歌も混ぜて10数本購入。1本を呉菲嬢にプレ
ゼント。「私のテープが一番高いですね」と言っていたが、喜んで戴けたようで小生も嬉
しかった。続いて百貨大楼へ行き、珍しげなるものを探していると、脇なる呉菲嬢は「買
いましょう、買いましょう」の連発。本人曰く、「本当に私は買い物が好きです」と。結
局、2胡とスワトウのハンカチや麻雀牌などを買う。
 ところで、西雙版納に発つ前に購入した『麗江納西族民居』という報告書にある民居は
一顆印住宅(三合院)であり、剣川の白族民居も同じ形式であることを建築の大学に通っ
ている友達に確認をしたと語る。麗江は非常に美しい集落であると教えてくれた。来年に
なると麗江にも空港ができ、これまでは2日掛かりであったのが短時間で行くことができ
るようになるので、是非一度行ってみて下さいということでした。小生はまだ報告書を読
み終えていなかったが、また一つ楽しみが増えたような気がした。


 13:45 機上の人となる。約3時間の空の旅。その晩は上海の日航龍柏飯店に泊まる。空
港からも、上海の街からもかなり離れており、治安が良くないということで、外出を差し
控えることにした。ホテルは改修工事中で、ホテルのレストラン以外には店が開いていな
い。仕方がなく、そこでセットメニューを注文したが、今回の中国研修の旅で一番がっか
りしたことでした。7/29〜8/7 の吐魯番・敦煌・西安のシルクロードの旅に始まり、8/12
北京再訪、その後、大同・五臺山・平遥・韓城党家村・西安・夏河・昆明・西雙版納と、
延べ32日間におよぶ中国大旅行も明日9/2 、9:00の機上で終焉を迎えることとなる。

 その間、広大な自然に接し、大変多くの人と触れ合い、そこに展開される営みの壮大さ
を目の当たりにするとき、生かされていることの素晴らしさを感得せずにはおれない。最
後にもう一度、有り難う。

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