−中国やぶにらみ建築紀行−     

              〜建築風俗の旅〜

               蘭州−夏河

                1994夏





            日本大学工学部建築学科
              建築史第二研究室
               狩野 勝重



 西安 16:10 発の夜行火車に乗車。西安から蘭州までの距離はさ程とは思えないが、一晩
掛かるという。案の定、列車のスピードは非常にゆっくりとしたローカル列車の雰囲気で
ある。
        
        夜行のコンパートメントは上下2段で向かい合わせの4人1組である。
       当初、小生の他、英国人男性2人連れとアメリカ人女性1人が同じコンパ
       ートメントであったが、アメリカ人女性に別の年配の同行者がいることか
       判明。
         Can you speak English?  No, only Japanese.
          ・・・・・ You, one parson, but we are two parsons.  So, so ・・・・・.
         Oho! yes.  Ok, Change my seat for you.
        なんとも怪しげな会話の後、コンパートメントを隣と交換。今度の連れ
       合いは中国人の家族。コンパートメントの扇風機(冷房はない)が故障し
       ており、大変な暑がり様。あまりにも暑そうだったので窓を開けてあげた
       ら、しばらくして窓を再び閉めてしまってランニングシャツ一つで扇子を
       使っていた。その時は変わった人だなと思っていたが、それは大間違いで
       あった。中国人の一般的所業である。すべてを囲い込んで、他人の目を遮
       ってしまう中国の人々の生活態度の一端を垣間見た気がする。建設中の建
       物の窓を煉瓦で塞いでしまう所業も、この感覚の延長上と考えれば納得で
       きない訳ではない。
        この中国人のご主人が、小生の読んでいた『古建筑游覧指南』を覗き込
       み勝手に取り挙げて、リーベンレンかと話しかけてきた。第2次世界大戦
       のとき役所に勤務していて日本語を覚えたのだという。暫く話をする。


16:00 頃 列車は渭水ウェイショイに沿って西走するが、武功ウーコンに程ない所で車窓に靠山式窰
    洞が飛び込んでくる。列車が走る周囲の地形は相当急なV字型の谷になっている
    のであろう。対岸の斜面は、下が不整形の段丘、上部が雛壇型段丘、最上部が切
    り取った崖に設営された窰洞、中腹は可なりの巾で斜面を整形中で、5〜6人が
    横一列に並んで作業をしている風景が観られた。
     宝鶏パオチーを出た辺りの山並みで日没を迎え、天水ティエンショイ を過ぎて眠りに落ち
    る。


8/27 蘭州
 早朝、蘭州着。金城賓館にて書籍の入った荷物を預け朝食を採った後、拉卜楞寺のある
夏河シアホーに向かう。
                               ガイド:謝 静嬢


 年間雨量は蘭州では300mm、夏河では500mmであるという。


 吾々の汽車(バス=小型乗用車)は、臨夏リンシア経由で夏河へ。蘭州市街から南へ峠を越
えタオ川沿いに出た辺りで小さなガソリンスタンドのようなものが目に着く。しかし、こ
れはガソリンスタンドではなくて、洗車場であると聞く。北京では気が付かなかったが、
中国各都市は、市街の車が市域に入るときは、入市直前に洗車することが義務付けられて
いるため、こうした洗車場が市境に必ずあるという。


 臨夏への道筋の民居は軒の張出が長い。スケッチは
一軒の場合と二軒の場合を示す。捶は太い丸太を用い
て、さらにその上に横並びに丸太を置いた上から土を
被せている。


 臨夏の街はこの地区では大きな商店街が形勢されて
いる。昼食後20分程度街の中を散策するが、落ち着い
た良い街である。一歩中心街から外れると、緑も豊か
で風情がある。


 レストランの前の庭園にはコスモスが咲き乱れてい
た。写真は中国庭園の四阿としては典型的スタイルと
受け止められているものであるが、以外や、今回のル
ートの中で小生が見たのは初めてである。


 臨夏の街の外れで給油に立ち寄る。ガソリンスタン
ドに人は居るものの、係の者が食事をしにいって帰っ
てこないということで、暫く待たされる。そのスタン
ドの脇が建築現場で、鋼管足場ではあるが、その本数
が少ない事や足場板が緊結されていないことに驚きの
念を覚える。


 臨夏は回族の寺院が多い街であるが、彼らの寺は一般に開放されておらず、その独特の
雰囲気を写真に納めることができなかった。回族の女性の多くはスカーフで顔を覆ってい
る。本来、未婚者は緑のスカーフ、既婚者は黒、子供ができると白のスカーフを纏い、素
顔は晒さないという。また、男性は白の丸帽を被る。三甲(慶河)から先は少数民族の村
が多い。


 臨夏より卅里鎮までは比較的緑豊かで、周囲に屋敷
林を持つ家も多く、屋根形状は日本の民家の瓦屋根に
似る。しかし、最近のものは片流れが多く、中国的?
になっている。スケッチは近年の民居で片流れの家が
背中合わせになったような形式である。


 卅里鎮を抜けて牛津河に入ると緑は激減し、北斜面にはへばり付くように低木が生えて
いるが、南斜面は急峻なガレ場となっている。この辺りから、街道沿いの商家は回族、集
落は西藏チベット族のものが増えてくる。


大夏河ターシアホー沿いの集落

 集落全体が泥の固まりのように見えるが、実際は可
なり豊富に材木が使われている。覆土の下地は細い木
を編んだものと煉瓦積みの2種類が用いられている。
外壁の土は寺院以外は漆喰仕上げはしていないので、
風化が激しそうである。手前には粘土質の土が積んで
あるが、補修用であろうか。


建築直後の民居

 街道沿いに2軒だけぽつりと新築直後と思われる民
居があった。右隣の民居は崖に平行(東向き)に建て
られ、捶は丸太の一軒であるのに対して、この民居は
南向きに建てられ、さらに短い角捶を備える二軒とさ
れる。門Fの彫り物も含めて、両者は格の違いを顕し
ている。
 塀の仕上げは、門右側のように仕上げられるが、左
側は仕上げ途中なのであろう。前面に横たえられた小
木が壁の下地として用いられる。


 15:00 頃に宿泊予定の夏河賓館に到着。ルームキーは係の女性が居て、その都度開けて
くれる。現地ガイドに確認の上、荷物を部屋に置いて、早速近くにある西藏族の集落九甲
郷来周村を訪れる。夏河賓館を出た途端に、近くで刈り入れをしていた農家の子供たちが
群がり、「何か呉れ」と要求してくる。外来の客には何かをたかるのが当然と考えている
ようだ。何も持っていないということで彼らを振り切る。
 集落の家々は、可なり急な南西向き傾斜地に、崖を背の壁にして居を構える。屋根は全
て陸屋根で、塀・民居の外壁は土壁とされる。


 西外れに近い民居の門と、門脇に設けられたニーハ
オトイレ。土で囲った壁の内側に小さな穴が開いてい
る。壁の高さは腰よりも少々上になる。これが便所と
思わなければ、なかなか粋な造形である。
 この集落に限らず、門は全て傾斜の下側に設けられ
ている。


 そこここに犬がおり、ガイド嬢はビクビクである。そこで、通り掛かった子供にボール
ペンを渡して案内を頼む。子供たちは喜んで案内をしてくれ、一緒に歩いていることで、
土地の人達も気軽に挨拶して呉れるようになった。言葉の通じない、不案内な土地では子
供たちが最高の通訳であることを此処でも確認した次第である。


 集落の上部から全体を臨む。屋上はフラットで、僅
かな立ち上がりで囲われた区画毎に小さな横穴が穿た
れて、外部へ突き出した樋に導かれる。
 此処でも開口部は全て院子に開かれて、外周部への
窓は皆無である。
 また、屋上は藁干場として用いられている。
 内部は木造と考えてよい。


 ニーハオトイレ。思いの外こ綺麗である。乾燥して
いるために直ぐにからからになってしまう。路上の中
央溝に家畜の糞が集められていたが、これも既に乾燥
して匂いすら殆ど感じられなかった。


 麦の刈り入れ風景。少女が手にする鎌は、吾国で用
いられている鎌と殆ど違わないし、刈り入れ作業もよ
く似ている。


 子供たちも刈り入れ作業を手伝っているが、この子
は外来者を見ると石を投げつけていた。傍で母親が窘
めてはいるが、そんなことはお構いなしである。


 野犬が多く、結構飼い犬も夕刻近くにはナーバスになると聞き、未だ明るいうちに夏河
賓館に戻る。そのまま、レストランに行くが、食事であることを告げて待つ間にビールを
飲むが、中々食事が出てこない。途中催促をするが、返事ばかりで梨の礫。謝嬢が顔を出
したので、そのことを告げる。何のことはない、食事のチケットを彼女が出し忘れていた
のである。その間にビールを2本も飲んでしまった。
 拉卜楞を訪れる日本人は非常に少ないという。そんな中で、聞くともなしに耳に入って
きた話の様子からすると現地で結婚されているのであろう、中年の夫婦が日本語と中国語
をちゃんぽんに使いながら、当方の様子も気にしてくれているのが判る。しかし、ついぞ
言葉は交わさず終いであった。
 夏河賓館は、この7月に新築されたばかりであるという。しかし、浴室(便所)の床に
は水溜りができていた。


 翌朝、8/28。対岸の岡に登る。拉卜楞寺全景を収めるにはここに登るしかないというこ
とで、国内の観光ツアー客が数名登ってきていた。ここで、幾つか撮影ポイントを探す。
その一つが宿坊から礼拝、嘛尼車と一連の作法に則って行動する修行僧り姿と大夏河に懸
かる木造橋である。


 山肌を覆う麦畑。斜面の傾斜のままに使用している
のは、基本的に雨水を溜めて使用するという耕作方法
ではないことによるものなのであろうか。


夏河シアホー拉卜楞寺ラブロンスー

                  1710年創建。

 拉薩ラサに次ぐ喇嘛教格魯派のメッカで、聞思を中心
として續部上・續部下・喜金剛・時輪・医薬の六つの
学院がある。その建築物は、石あるいは煉瓦積みで白
やベンガラ色塗りの壁、壁面に突き出した窓上庇の捶
小口・床根太・陸屋根スラブの下地を構成する捶小口
などによるライン、庇上から屋根スラブの間の茴麻の
茶褐色が西藏族独特の雰囲気を醸しだす。
 金色の屋根は仏殿。陸屋根は学院である。学僧併せ
て1,700 〜1,800 名程のうち正式僧が700 名程度であ
るという。


嘛尼車

 寺院域全体の最南端、大夏河沿いに建てられた廻廊に嘛尼車が連ねられている。修行僧
達は皆朝一番の作法として、僧坊を出て左右両翼の廻廊に設けられた嘛尼車を廻しながら
行く。この嘛尼車を廻す回数が功徳の量に比例するといわれる。
 


 大夏河に懸かる橋。両岸から張り出した迫り持ちの 間に丸太を架け、板を渡した上に土をかけるが、手摺 りは無い。想像するに、中央部は増水時に流失するこ とを意図しているものであろう。架け換えは容易であ る。


 学院などの建物の門庇。二軒で、二軒目の垂木は扇
垂木とされている。


 学院の外壁上部。天井部分は角材を敷並べた上に板
を貼り、さらにその上に丸太を敷並べ板を貼った二重
のスラブを構成し、その上に磚を敷く。その上が屋根
の構成部分で、茴麻の小枝を敷並べ、丸太の屋根スラ
ブに隅扇垂木が配される。西藏チベット建築の特徴的な処
である。


 夏河県拉卜楞寺管理委員会の建物の大門。門ビの持
送りは禅宗様の木鼻に酷似する。また、地垂木・飛檐
垂木と木負の木太さは中国建築の特徴的部分である。
その門ビ中央部の朝顔型の電灯笠が何とも面白い取り
合わせである。
 門前では、若い修行僧が水撒きをしていた。


屋上の排水用樋

 屋上に溜まった雨水は、屋根スラブぎりぎりの位置
に穿たれた排水口からパラペットを突き抜けた排水用
樋によって建物の外部に導かれる。縦樋はない。これ
は、民居でも同じであるが、寺院関係の外壁は赤また
は黄色。庶民の家は白またはグレー。


 茴麻の小枝による外壁上部の構成は、最も西藏チベット
建築の特徴的な部分であるが、写真のような小枝を酥
油(牛乳から採れた油)に長時間漬けた後で用いる。
その色は酸化鉄による発色で、茴麻の小枝を敷並べた
部分は圧力に耐えるという。


大仏殿

 屋根瓦の色は金色。窓の形は一つの石から切り出し
ている。


密教芸術学院(金剛学院)

 大門を入り、左側が僧坊、大門脇と右側廻廊には元
壁画が描かれており、勉学の場である。中庭を挟んだ
壇基前面のテラスと列柱の中央部から内部に入ると、
そこは約2,500 mmを一間として5×6間の教学空間と
なる。入口上部からは明るい光を採り入れ、奥に向か
って徐々に暗くなる。また、奥室の未来仏の部分には
採光がなされ、光によるイメージハイアラルキーが高
くなるように扱われている。
 奥室右手より2階への階段があるが、2階の廻廊は
逸品が懸けられている。左奥の部屋は個人的な密教研
究の場で、護法殿と呼ばれる。
 


 大門の門ビの彫刻は左右対象の透し彫りで細かい繰
り返しパターン。柱上の木鼻は象鼻である。施設その
ものの格を表現していると考えてよかろう。


 芸術学院の教師の一行。午前中の業を終えての帰り
である。非常によい表情をしている。


 版築の作業中の写真を撮らせてもらう。基底部数段
を石積みにし、その上に土塀を築く。最初に一定の角
度を保たせた足場丸太を建て、それをガイドとし600 
mm程度の巾の狭い型枠をずらせながら土を突き固めて
いく。水は使っていない。
 さらにこの上に仕上げ塗りをする場合もある。


ヤクによる農耕風景。


水車と水車小屋

 近辺の集落で見掛けた新築中の民居。土壁の部分は
小枝を網代組に編んだ下地を用いている。煉瓦積みの
部分はコーナーの飾積みとでも言った方がよいのかも
知れない。木造部との緊結はホゾが差し込まれている
だけである。
 架構は必ず梁と枋の組み合わせにより、垂木の配り
は扇垂木。その構成がよく判る。


 回族の民居は一見してそれと判る。赤や黄色の原色
やコバルトブルーが目立つだけではなく、殆ど色を用
いていなくても窓や手摺りのデザインねその他が華や
いで見える。


 土壁の下地。小枝の網代下地の様子がよく判る。


 近辺の集落で見掛けた軒反りの処理形式。隅の軒を
反り上げるのに、先の太くなった隅木を何本も重ねて
いる。


牛津河の民居

 近年はこのような民居が増加している。片流れの建
物が背中合わせになったような建て方。土壁、泥瓦で
ある。


臨夏 臨夏周辺集落の建物配置方法

                 車中メモ
 奥家巷以南の山間集落にみる建物配置は主屋を南向
き、従屋を西向きに配する。その代表的な二態を示す
が、山間部に建つため、出入口の取り方については若
干異なることもある。赤煉瓦、赤瓦の屋根が目立つ。

 更に南に下ると従屋を東向きに配するものや、西面
を塞いでいるものも相当数見受けられる。


        この道中では、けたたましい警笛を鳴らしながら走る車の目の前を、豊
       かな顎髭をたくわえ哲学的顔をした自転車人が、意にも介さぬ様子で横目
       で睨みながら通り過ぎる。
        また、白い縦長タイル貼りの2階建て連続商店の建設が各地で見られた
       が、余りにも画一的過ぎる気がして少々白けた。


 蘭州には16:00 頃到着。西安で購入した書籍を運ぶ
ためのキャリーバッグを探す。なかなか思うようなサ
イズのバッグが見つからず、町中を歩いている途中で
枠鋸を使っている家具職人に出会い、乞うて写真を撮
らせてもらう。


        結局2軒目の百貨店でキャリーバッグを買い求めたが、帰国途中の上海
       空港でキャリー用把手が壊れ、日本に帰って少し多めの荷物を入れたらフ
       ァスナーが壊れてしまった。一応検査合格証はついていたのであるが・・
       ・。それでも、1996年現在、修理して使っている。


 この日は金城賓館泊。

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