8/29 早朝05:30 ホテルを出発して蘭州から空路昆明に向かう。07:50 搭乗するも小生の 座席番号が無い。スチュワーデスに申し入れたところ、最後尾のスチュワーデスの前の席 に案内され事無きを得た。 ところが、一難去って又一難。2時間ほどして搭乗機は成都に着陸。そのことを知らさ れていなかった小生は、機内アナウンスを聞き逃してしまい、昆明に到着と思って荷物を 背負い降りようとしたが、他の乗客が全ての荷物を置いたまま降り出したのに気付き、昇 降口のスチュワーデスに様子を聞く。しかし、悲しいかな、いざと言う時には中国語も英 語も殆ど判らない。最後の手段、筆談にて給油のための一時待機であることが漸く理解さ れる。 今度は空港控室で再フライトの時間を聞くが、”no time ”との返事。結局30分程待機 の後再機乗。 11:50 今度こそ正真正銘の昆明空港到着。眼下の湖が眩しい。
円通寺ユアントンスー創建は唐代以前で、元代1320年の再建。明・清代に修理をしているため細部意匠は明・ 清代の様式が混在しているようにも感じられるが、より曲線が多い。円通寺は放生池を持 つ大型水院で、池中央の八角亭・円通宝殿・曲廊とからなる。八角亭は明代の建築であろ う。 |
円通宝殿柱間は桁行方向で4:6:8:10:8:6:4の7間、梁間方向 は4:8:8:4:4 の5間。殿内の柱の省略は見られず、中 央4本の柱には明確な内転が見られ、吹放しの雨打柱 ・覆土部分の檐柱共に内転が確認される。ただし、雨 打柱は全体的に中央に向かって内転を有するものの、 中脇間の2本だけは垂直である点は注意を要する。 と伝えるが現存する建物は 柱はエンタシスの脹らみを持つ。 |
円通宝殿の木鼻は渦絵様の組み合わせで、その渦絵 様は尾垂木にまで及ぶ。吹放し裳階の全ての斗キョウ が扇型3方向に肘木を持ち出す点も特徴的である。た だし、身舎は桁に垂直方向のみである。牌楼左右屋根 の隅斗キョウもやはり扇型3方向に肘木を持ち出す。 この斗キョウが当初のものか、明代の改修になるもの かは検討を要する処である。 |
建設中の方丈方丈の新築中現場。吾国と同様、鉄筋コンクリートが増えており、ここもRCラーメン 造。柱の細さもさることながら、各部材が相当細いメンバーから成っていることに少々驚 いた。焼成煉瓦がカーテンウォールとして用いられているが、その精度の荒さにも驚かさ れる。 |
花鳥市場前の近代建築花鳥市場前の下駄履き商店街で、左右対象に建てら ている。先端部の円形平面処理と格子による曲面窓、 各層二段、最上部で三重に入れられた水平性を強調し たコルビーステップ的モールデザインは表現派と同じ スタイルで典型的近代建築である。 |
8/30 9:00衣類・日曜雑貨市場の見物と昆明市内の探索へと出発。
福照街近く、庸道街の花鳥市場を訪れる。1階部分 を白壁の覆土とし、2階は木造碧色塗装仕上げの12軒 連続住宅で、1階部分は商店として機能。さらに、連 続住宅の間の通路に仮設路上店舗が向かい合って設け られて、大変ごった返している。 写真は庸道街15号の美術工芸・骨董の店。 街路に面する部分は本来裏側で、正面入口(大門) は狭い露地に開く。 |
曙光巷の3階建民居耳の遠い老婆が一人洗濯をしていた。現在10数世帯 が住むが、以前はこの老婆の持ち物であったという。 明・清代としては相当高密度化された住居と考えられ る。院子の面積は、北京の四合院と較べて決して狭く はないが、院子を取り囲む建物が3階建とあっては流 石に暗い。 なお、盤龍区重点保護単位に指定されている福林堂 薬局の建物は、元この老婆の所有物であったという。 |
盤龍区重点保J単位・福林堂文廟街角のこの福林堂建物は晩清の建築で、代々中 葯・丸散を製造販売する老舗である。扇型平面で、丸 柱、3階建、擔には雕花飾板が付く。 この街筋は晩清の建築が連続するところでもある。 |
文廟街の街並は木造丸柱で2〜3階建、朱塗りの晩 清の建築が連続するが、隣合う建物の境はそれぞれ卯 建うだつ が揚げられ、防火壁を共有する。 |
火災で焼け、骨組みだけが残った民居。防火壁の構 成とその効用を如実に示すと同時に、2階以上は1尺 5寸程度の持出し式架構で、外観2階、屋内3層にな っていることが判る。 |
文廟直街の街並。外壁全てを煉瓦で覆うこの街並は 中華民国時代の建築であろうか。中には4層のものも 見られる。 |
文廟直街の奥に幼稚園の門があった。このタイルの 使い方は、中国各地(特に甘粛省に目立つ)で建設中 の下駄履き商店街と同じで、必ず縦貼で用いる。それ にしても、赤色が強烈な印象を与える。 昆明百貨大楼(集団)有限公司幼稚園の表札があっ た。 |
文廟直街の民居幼稚園の近く、白壁に朱塗り大門の民居が在ったの で、内部を覗くと高齢のご夫人が一人庭で作業をして おられた。内部を見せて貰うことにする。この民居は 平家建で、100 年位前の建物である。ご夫人は51年前 に南京から疎開し、現在の貸家に落ち着いたが、夏涼 しく大変に住み易いいという。子供8人は既に結婚し ている。この民居には7〜8人、2世帯が居住してい るが、正房と両脇の耳房ならびに大門脇の廂房がご夫 人の家族1世帯で家賃は月5元。大門の向い側の廂房 は別の家族が居住し、家賃は月1元である。これには 少々驚き。 |
院子にはブドウの樹が植えられていて少し薄暗く感 ぜられる。正面正房だけが小屋裏の物置をを有する。 |
炊事場は仮設の屋根が架かり、本来は青空であった 部分。調理台を挟んでガス焜炉が二つある。 |
正房内部。ここは正面に祭壇、右手の壁に机とテレ ビが、左手の壁に食事用テーブルと応接セットが置か れて、居間としての役目を果たしている。 |
雲南省血栓病医院問診部は清代末期の古い建物を使 用しているが、1階のルネサンス風アーチを見ると、 ヨーロッパ文明の波が確実にここ昆明にも押し寄せて 来ていたことを窺い知る。 |
RC建築物の工事現場。カーテンウォールとしての 煉瓦の使い方、足場の組み方などがよく判る。防災用 ネットの裏に竹を網代組にし、仮り囲いとしている。 |
清代の街並。角地の建物は大抵この様に扇型の形態 を採る。奥は2階建、右側は3階建で、防火壁を共有 する。 |
坂道のシークエンス1坂の多い地区の古い街並は、街路を石畳とし、正面 の分岐点に面する大壁は照壁化しているが、中に描か れた絵は何とも残念である。しかし、こう感ずるのも 彼我の相違か。坂の上から見る白壁と家並みは大変に 美しい。 壁と大門の取り合いの部分の屋根曲線は独特の風情 を醸しだす。 |
坂道のシークエンス2白壁が続く坂道。正面のアパートが何とも無骨に見 える。永い年月かけて造り上げられた景観は大切にし たいものである。 石畳の美しい坂道である。 |
趙公祠昆明市五華区重点保J単位の牌楼形式大門。現在は 叉新中学の門となっている。 |
ヨーロッパ的デザインの混入ここ昆明にあっても、伝統的スタイルの民居の中にヨーロッパ的デザインの混入が見ら れるが、それは主に出入口周辺に限られるようである。 |
剣川イエンチョワン 白族民居建築模型雲南省博物館ユンナンションポーウークワンには剣川白族民居建築 の模型が展示されていた。剣川は大理ターリーの北、横断 山脈の麓に位置する白族の村。 装飾門楼、中央照壁上部や妻壁上部の装飾、水切り 瓦および中央中央照壁上部の棟の曲線、左右廂房の擔 飾り板などは、剣川白族民居の特徴的な部分である。 実際に剣川に足を伸ばすことができなかったのが誠 に残念至極。 |
午後の一時を昆明湖北岸の大観楼(1866年再建)に游ぶ。生憎天気は今にも泣きだしそ うな雰囲気であったが、それでも湖岸の景色は心を和ませる。呉菲嬢も大観公園をゆっく りと廻ったことはないというので、しばし散策。単なる観光案内ではないことが、かえっ てゆとりを齎したような気がして、のんびりと世間話をしながら、回遊。 「今日は良い勉強になりました。普通の観光案内では歩かないような所や、普段気 にもしていないようなことに新しい発見が・・・」 と、突然恥ずかしそうに、 「間違った所へ来てしまいました。」 見渡せばカップルばかり。日本でも中国でも若い人の世界は皆同じ。 「良いではないですか、ぐるりと廻れば。これも勉強の中かも知れません。貴女も たまさかこういうお相手も・・・。」 「・・・こういうお勉強はまだいいです。」 そそくさとその場を離れた二人でした。 |
大観公園近くの書店へ。そこで、呉菲嬢が教えて呉れた美しい集落「麗江」に関する報 告書『麗江納西族民居』と「西双版納」に関する資料『西双版納風物志』を購入。『麗江 納西族民居』は2冊購入して1冊を呉菲嬢に。 入店直前から降りだした雨が土砂降りに・・・。程なくして雨もあがる。 |
翌日夕刻再会を約して、19:30 昆明空港を後に西双版納へ。約1時間のフライト。西双 版納は雨であった。宿泊は版納飯店。殆ど客はいない。出迎えてくれた譚先承氏は唯一西 双版納で日本語が喋れるガイドである。翌日、昆明に戻って知った話であるが、呉菲嬢の 先輩であったというが、「学生時代とは変わってしまったようです」との一言。正直のと ころ、1/3 程度しか言葉は通じなかった。 |