8/29 早朝05:30 ホテルを出発して蘭州から空路昆明に向かう。07:50 搭乗するも小生の
座席番号が無い。スチュワーデスに申し入れたところ、最後尾のスチュワーデスの前の席
に案内され事無きを得た。
 ところが、一難去って又一難。2時間ほどして搭乗機は成都に着陸。そのことを知らさ
れていなかった小生は、機内アナウンスを聞き逃してしまい、昆明に到着と思って荷物を
背負い降りようとしたが、他の乗客が全ての荷物を置いたまま降り出したのに気付き、昇
降口のスチュワーデスに様子を聞く。しかし、悲しいかな、いざと言う時には中国語も英
語も殆ど判らない。最後の手段、筆談にて給油のための一時待機であることが漸く理解さ
れる。
 今度は空港控室で再フライトの時間を聞くが、”no time ”との返事。結局30分程待機
の後再機乗。
 11:50  今度こそ正真正銘の昆明空港到着。眼下の湖が眩しい。

昆明クンミン

 昆明は春城と呼ばれるように、一年中穏やかな気候で、年間平均気温が15°C程度とい
う。小生が訪れた時期でも19°C前後である。市街地中心部は全体が新しい赤煉瓦へと移
行し始めてており、ほぼ第一段階が終了したところである。しかし、派手さはない。現在
は余り治安が良くないので、一見して旅行者と判るような格好は禁物である。夜10時以降
の一人歩きも気を付けたい。
 昆明は地震多発地帯から約150 kmの地点にあり、他の都市と較べるとRC構造の柱は太
く、耐震的であるように感じられる。

                ガイド:呉 菲嬢
                      〒5310800  雲南昆明中国國際旅行社
                           電話 3132145 ,3132506 

        呉菲嬢は重慶の大学を卒業後、ガイドになって半年。綺麗な日本語を話
       すが、日本へは留学したことがない。ただ、日本からの留学生の友達が日
       本文学の紹介をしてくれるので、日本の小説を読んでいると言う。

 郊外の道路脇にはユーカリの樹が植えられており、成長すると20〜30m 位になる。キョ
ウ竹寺チョンチュースーを訪れるも、元代初期創建、清代改修と伝えるが原型残さず。



円通寺ユアントンスー

 創建は唐代以前で、元代1320年の再建。明・清代に修理をしているため細部意匠は明・
清代の様式が混在しているようにも感じられるが、より曲線が多い。円通寺は放生池を持
つ大型水院で、池中央の八角亭・円通宝殿・曲廊とからなる。八角亭は明代の建築であろ
う。



円通宝殿

 柱間は桁行方向で4:6:8:10:8:6:4の7間、梁間方向
は4:8:8:4:4 の5間。殿内の柱の省略は見られず、中
央4本の柱には明確な内転が見られ、吹放しの雨打柱
・覆土部分の檐柱共に内転が確認される。ただし、雨
打柱は全体的に中央に向かって内転を有するものの、
中脇間の2本だけは垂直である点は注意を要する。
と伝えるが現存する建物は
 柱はエンタシスの脹らみを持つ。



 円通宝殿の木鼻は渦絵様の組み合わせで、その渦絵
様は尾垂木にまで及ぶ。吹放し裳階の全ての斗キョウ
が扇型3方向に肘木を持ち出す点も特徴的である。た
だし、身舎は桁に垂直方向のみである。牌楼左右屋根
の隅斗キョウもやはり扇型3方向に肘木を持ち出す。
この斗キョウが当初のものか、明代の改修になるもの
かは検討を要する処である。



建設中の方丈

 方丈の新築中現場。吾国と同様、鉄筋コンクリートが増えており、ここもRCラーメン
造。柱の細さもさることながら、各部材が相当細いメンバーから成っていることに少々驚
いた。焼成煉瓦がカーテンウォールとして用いられているが、その精度の荒さにも驚かさ
れる。
 



花鳥市場前の近代建築

 花鳥市場前の下駄履き商店街で、左右対象に建てら
ている。先端部の円形平面処理と格子による曲面窓、
各層二段、最上部で三重に入れられた水平性を強調し
たコルビーステップ的モールデザインは表現派と同じ
スタイルで典型的近代建築である。


8/30 9:00衣類・日曜雑貨市場の見物と昆明市内の探索へと出発。



 福照街近く、庸道街の花鳥市場を訪れる。1階部分 を白壁の覆土とし、2階は木造碧色塗装仕上げの12軒 連続住宅で、1階部分は商店として機能。さらに、連 続住宅の間の通路に仮設路上店舗が向かい合って設け られて、大変ごった返している。  写真は庸道街15号の美術工芸・骨董の店。  街路に面する部分は本来裏側で、正面入口(大門) は狭い露地に開く。



曙光巷の3階建民居

 耳の遠い老婆が一人洗濯をしていた。現在10数世帯
が住むが、以前はこの老婆の持ち物であったという。
明・清代としては相当高密度化された住居と考えられ
る。院子の面積は、北京の四合院と較べて決して狭く
はないが、院子を取り囲む建物が3階建とあっては流
石に暗い。
 なお、盤龍区重点保護単位に指定されている福林堂
薬局の建物は、元この老婆の所有物であったという。




盤龍区重点保J単位・福林堂

 文廟街角のこの福林堂建物は晩清の建築で、代々中
葯・丸散を製造販売する老舗である。扇型平面で、丸
柱、3階建、擔には雕花飾板が付く。
 この街筋は晩清の建築が連続するところでもある。



 文廟街の街並は木造丸柱で2〜3階建、朱塗りの晩
清の建築が連続するが、隣合う建物の境はそれぞれ卯
建うだつ が揚げられ、防火壁を共有する。



 火災で焼け、骨組みだけが残った民居。防火壁の構
成とその効用を如実に示すと同時に、2階以上は1尺
5寸程度の持出し式架構で、外観2階、屋内3層にな
っていることが判る。



 文廟直街の街並。外壁全てを煉瓦で覆うこの街並は
中華民国時代の建築であろうか。中には4層のものも
見られる。



 文廟直街の奥に幼稚園の門があった。このタイルの
使い方は、中国各地(特に甘粛省に目立つ)で建設中
の下駄履き商店街と同じで、必ず縦貼で用いる。それ
にしても、赤色が強烈な印象を与える。
 昆明百貨大楼(集団)有限公司幼稚園の表札があっ
た。



文廟直街の民居

 幼稚園の近く、白壁に朱塗り大門の民居が在ったの
で、内部を覗くと高齢のご夫人が一人庭で作業をして
おられた。内部を見せて貰うことにする。この民居は
平家建で、100 年位前の建物である。ご夫人は51年前
に南京から疎開し、現在の貸家に落ち着いたが、夏涼
しく大変に住み易いいという。子供8人は既に結婚し
ている。この民居には7〜8人、2世帯が居住してい
るが、正房と両脇の耳房ならびに大門脇の廂房がご夫
人の家族1世帯で家賃は月5元。大門の向い側の廂房
は別の家族が居住し、家賃は月1元である。これには
少々驚き。



 院子にはブドウの樹が植えられていて少し薄暗く感
ぜられる。正面正房だけが小屋裏の物置をを有する。



 炊事場は仮設の屋根が架かり、本来は青空であった
部分。調理台を挟んでガス焜炉が二つある。



 正房内部。ここは正面に祭壇、右手の壁に机とテレ
ビが、左手の壁に食事用テーブルと応接セットが置か
れて、居間としての役目を果たしている。



 雲南省血栓病医院問診部は清代末期の古い建物を使
用しているが、1階のルネサンス風アーチを見ると、
ヨーロッパ文明の波が確実にここ昆明にも押し寄せて
来ていたことを窺い知る。



 RC建築物の工事現場。カーテンウォールとしての
煉瓦の使い方、足場の組み方などがよく判る。防災用
ネットの裏に竹を網代組にし、仮り囲いとしている。



 清代の街並。角地の建物は大抵この様に扇型の形態
を採る。奥は2階建、右側は3階建で、防火壁を共有
する。



坂道のシークエンス1

 坂の多い地区の古い街並は、街路を石畳とし、正面
の分岐点に面する大壁は照壁化しているが、中に描か
れた絵は何とも残念である。しかし、こう感ずるのも
彼我の相違か。坂の上から見る白壁と家並みは大変に
美しい。
 壁と大門の取り合いの部分の屋根曲線は独特の風情
を醸しだす。



坂道のシークエンス2

 白壁が続く坂道。正面のアパートが何とも無骨に見
える。永い年月かけて造り上げられた景観は大切にし
たいものである。
 石畳の美しい坂道である。



趙公祠

 昆明市五華区重点保J単位の牌楼形式大門。現在は
叉新中学の門となっている。



ヨーロッパ的デザインの混入

 ここ昆明にあっても、伝統的スタイルの民居の中にヨーロッパ的デザインの混入が見ら
れるが、それは主に出入口周辺に限られるようである。
   



剣川イエンチョワン 白族民居建築模型

 雲南省博物館ユンナンションポーウークワンには剣川白族民居建築
の模型が展示されていた。剣川は大理ターリーの北、横断
山脈の麓に位置する白族の村。
 装飾門楼、中央照壁上部や妻壁上部の装飾、水切り
瓦および中央中央照壁上部の棟の曲線、左右廂房の擔
飾り板などは、剣川白族民居の特徴的な部分である。
 実際に剣川に足を伸ばすことができなかったのが誠
に残念至極。



 午後の一時を昆明湖北岸の大観楼(1866年再建)に游ぶ。生憎天気は今にも泣きだしそ
うな雰囲気であったが、それでも湖岸の景色は心を和ませる。呉菲嬢も大観公園をゆっく
りと廻ったことはないというので、しばし散策。単なる観光案内ではないことが、かえっ
てゆとりを齎したような気がして、のんびりと世間話をしながら、回遊。
   「今日は良い勉強になりました。普通の観光案内では歩かないような所や、普段気
   にもしていないようなことに新しい発見が・・・」
と、突然恥ずかしそうに、
   「間違った所へ来てしまいました。」
見渡せばカップルばかり。日本でも中国でも若い人の世界は皆同じ。
   「良いではないですか、ぐるりと廻れば。これも勉強の中かも知れません。貴女も
   たまさかこういうお相手も・・・。」
   「・・・こういうお勉強はまだいいです。」
そそくさとその場を離れた二人でした。



 大観公園近くの書店へ。そこで、呉菲嬢が教えて呉れた美しい集落「麗江」に関する報
告書『麗江納西族民居』と「西双版納」に関する資料『西双版納風物志』を購入。『麗江
納西族民居』は2冊購入して1冊を呉菲嬢に。
 入店直前から降りだした雨が土砂降りに・・・。程なくして雨もあがる。



 翌日夕刻再会を約して、19:30 昆明空港を後に西双版納へ。約1時間のフライト。西双
版納は雨であった。宿泊は版納飯店。殆ど客はいない。出迎えてくれた譚先承氏は唯一西
双版納で日本語が喋れるガイドである。翌日、昆明に戻って知った話であるが、呉菲嬢の
先輩であったというが、「学生時代とは変わってしまったようです」との一言。正直のと
ころ、1/3 程度しか言葉は通じなかった。


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