狩野 勝重 中国建築行脚  

渾 源 フンユワン 〜 南禅寺

8月20日〜

                                2.45Mバイト

渾 源 フンユワン

  新しい5〜6階建の集合住居は3〜5年前の北京の中層集合住宅と
  ほぼ変わらない。

懸空寺シュアンコンスー




懸空寺シュアンコンスー
      近辺の集落

 懸空寺シュアンコンスー近くの集落を
みる。この集落の民居も基本的
には中庭を中心にした配列で、
部屋は中庭に向かって開放。周
囲を石積みの塀(ボンドは土)
で囲い、2〜3方に部屋を配す
る形式をとる。切妻形式の屋根
形状は北京の住宅と大きくは違
わない。周辺は岩山で石材が豊
富にある。             

 集落の入口街道沿いに、敷地
境界部分にのみ一段だけ石積み
がなされた小さな裸地があり、
そこに放し飼いの羊の群れが数
十頭。牧童が脇で居眠りをして
いる姿が見られた。牧場と呼ぶ
には余りにも狭小な敷地であっ
た。





 また、後背部の岩山に腰を掛
けた少女の姿が印象的でカメラ
を向けたが、彼女は、はにかん
で背を向けてしまった。











 懸崖造りの懸空寺については、対岸まではいったものの、吾国の三仏寺ほどの感銘
を受けず、明代の再建ということもあって、次の道程を急ぐことにした。         
砂河から先、五台山ウータイシャン へ向かう途中、五箇所ほど河床を渡らなければ なら
ない所があり、スタックしている車に行く手を塞がれたりもした。幸い少しの待ち時間
で通れたが、運が悪ければ、目的地に到着しきれないこともあるとか。        


  年に一度開かれるラバや牛の交易市に出会う。


 3058mの高さを誇る五台山の
懐深くに拡がる仏教の聖地台懐
鎮に辿り着くまでの道は急激に
高度を上げていくが、驚くほど
の山奥まで段々畑が山肌を覆い
尽くしている。また、五台山は
何時も雨模様だという。   

 10時間の道程を経て、五台山台懐鎮の友誼賓館に到着。現地ガイドの梁君華さん
と落ち合う。なかなか可愛小姐。五台山は開放都市ではないので外国人旅行証の発
行を受けることが必要。パスポートを梁さんに預け、翌朝外国人旅行証とともに返して
もらう。                                               

 友誼賓館はなかなか近代的なホテルであるが、その裏に磚石式窰洞があり、倉庫
として利用されている。このような磚石式窰洞は山西省忻州シンシエン から太原界タイユワ
ンチィエ周辺にも散見されるし、司馬遷の墓の文物管理所にも見られた。        



8/21

 五 台 山 ウータイシャン

 梁君華さんは今年(1994)の4月にガイドとして
五臺山中國國際旅行社に勤務したばかりの20歳。
月給は諸経費込みで200 元程度で寮暮らし。手元
に残るのは56元ほど。衣料品は、その殆どを離れ
て生活する両親が調達してくれている。いままで
休みが全く無いので少しホームシックにかかって
いるという。北京の観光科専門の学校で日本語を
習得したが、その期間は1週間に12時間で、15ケ
月。流暢な日本語である。          







 龍泉寺の牌楼は元代の建築様
式を大理石で忠実に模したもの
と武氏はいうが、どうも明・清時
代の様式が混入していると見た
ほうがよさそうである。武氏の強
い勧めで最初に訪れたが、どうも
感心しない。     










顯通寺シィエントゥォンスー

  その建築の大半が明代に再建され、清代になって修復を加えられたものである 
 が、全体としてインド建築の様式が採り入れられたという。銅殿ならびに銅塔、 
 無量殿などがある。 

 顯通寺无量殿
 ウリィアンティエン

  1500年代末建立。

  無梁殿・七処九回殿ともいう。軒先は木造組物
 のように見えるが、全て石からの削り出しで、建
 物全体はインド様式を模倣したものとされる。正
 面七つの礼拝口を有し、基本的な架構形式はド
 ームである。これが無梁殿の名の由来となって
 いる。







  顯通寺境内の左右の殿舎を 
 修理中であったが、使用部材 
 に対する感覚は非常に大雑把 
 である。斧を使って丸太を製 
 材していたので写真に収めて 
 きた。








 顯通寺千鉢文殊殿
チィエンポォウェンシュティエン

        1955年建立。

  檐柱に内転があり、柱は僅 
 かにエンタシスの気分。







 顯通寺大雄宝殿
 ターシゥォンパオティエン

  柱間5間庇付で正面7間の
 建物で、床面積800 u。柱108
 本。柱にエンタシス。内部は
 外陣、内陣、内々陣3間とに
 別れ、内陣の中間で天井が切
 り替わり、外陣側は垂木あら
 わしとなる。
  内陣3間の前面左右隅の柱
 のみは四角。柱上には組物を
 用いず、通し肘木と梁を重ね
 る。内部柱にも僅かなエンタ
 シス。



 碧山 天王殿
 ピィシャンスー ティエンワンティエン

  建物の外周2列の柱に関し
 ては、柱も太く、寸法も揃っ
 ているが、内側の柱の太さは
 まちまちである。細い柱は恰
 も後世の補強であるかのよう
 に見える。




 碧山寺 ピィシャンスー 方丈

  明代の建立。此処でも外周
 の柱(檐柱)のみ太さが揃う
 が、内部柱の太さは不揃い。
  柱は、梁間方向に対して2
 本対で建てられる。吾国の民
 家で古い時代のものにまゝ見
 られることがある。
  五台山全体の寺院を賄うに
 は材料不足ということも考え
 られない訳ではないが。
  組物、絵様、繰形は吾国の
 禅宗様的である。
  経は2階に保管している。




 普化寺チンホゥアスー

  非常に閑静な寺院で、慈悲の
 寺と言う。殆ど人影は見られな
 い。大変心休まる思いがした。








  柱下の大きな球状の礎石か
 ら、顯通寺大雄宝殿と同じ明
 代の建築と思われるが、この
 寺も丁度修理中で、絵様の補
 修の様子がよく判る。このよ
 うな補修の際には、下絵を写
 し採って保存をしておくのだ
 という。 





















           8/22

     佛光寺大殿フォコアンスーターティエン     



 佛光寺大殿  フォコアンスーターティエン

      857 年建立。総間正面7間側間4間。
      重点保護単位。
  南禅寺大殿に並ぶ重要木造建築物。
  身舎は桁行5間梁間2間で4面庇付。堂内 
 梁間2間は梁のみで、桁行の架構は母屋のみ。
 身舎の柱間寸法は4,960 mm均等で庇部分の
 出4,030 mmであるから、全体としては両サイド
 の柱間が減少する形となる。  
  架構は単純明快豪快で、持送り斗キョウは
 軸方向にのみ用意される。檐柱は内転をもち、
 柱は600 〜620 mm程度のエンタシスで上部に
 粽を有する。桁断面は丸、尾垂木の先は直線
 的にカットされ、丸垂木は先端で鉛筆を削っ
 たかのように、角に変更されている。 

  組物、架構、外陣上部の壁画などを含めて
 全体的に唐代の建築様式をよく現在に伝える
 優れた建築遺構である。吾国の大仏様式の源
 流を見たような気がする。




 佛光寺文殊殿
 フォコアンスーウェンシュティエン

  1137年建立。金代の代表的
 建築物で大殿に次ぐ正殿。

  建物総高さは大殿より低いが、
 柱径は700 程と大殿以上に木太
 い。正面の柱総間は約313,100
 側の総間は174,230 mm、桁行7
 間梁間3間の建物で、正面中央
 3間:脇第2間:脇第1間=9.3 :
 9:8のように脇間で柱間が減少
 している。また、外周の檐柱には
 内転が見られる。桁行について
 は中間:脇間=17.5:8.5 となって
 いる。

  架構全体としては減柱法が採
 用され、前面第2列の桁は大桁
 が、後面第2列の桁は二重桁が
 用いられている。しかし、減柱
 法の採用の結果、大スパンとな
 った部分の架構にタレが起こり、
 補強のための柱が追加されたり
 している。

  斗キョウは柱上で梁の延長方
 向、間斗部分で扇形3方向に肘
 木が延びる形式をとり、枠肘木
 は彫出し。




        佛光寺伽藍殿にみられる柱間中間の組物の放射状持送りは中国建築の組
       物の大きな特徴を顕している。また、佛光寺の釈迦の帽子はブルーであった。


        五台山を日永一日古建築を求めて歩き回る小生に、本来の観光ガイドと
       しての仕事を放り出して、一所懸命の道案内と通訳。思わずでたのであろ
       う「仏像にはあまり興味は無いのですか」の一言。地元では殆ど口にする
       ことのない専門用語に振り回されながらも、小生に逆に質問しながら最後
       までお付き合い戴いた小姐。謝々。                 


8/22 台懐鎮から南禅寺へ


  台懐鎮を後にして、東治鎮の近く南禅寺へ向かう。途中の道路はやたらに落石が目立
 つ。しかし、五台山は夜間に雨が降るなど、適度な雨量が確保されていることから、土
 壌は比較的豊かで、野性種の草木が約300 種類におよぶ。周辺集落は比較的裕福ではあ
 るが大変に地味。                              

 途中、低層建築物の工事現場に会うが、壁体のみが
完成している状態で、屋根形までが煉瓦積みで、未だ
直置きの母屋架構は揚げられていなかった。

  東治鎮への道路は非常に荒れており、最後のアプローチとなる登り口は水道に沿って
 地盤が裂け、大きく陥没している情況である。近日、道路全体が崩壊する恐れがある。
 思わず絶句。途中、川沿いで煉瓦生成よう泥を練っている現場に会う。       
  周辺集落は崖地を利用した靠山式窰洞と干乾煉瓦の積上式窰洞が見られるが、民居の
 すぐ縁まで崖が崩落しており、よくぞそのまま生活を続けていると驚かされる。   





      南禅寺大殿ナンシャンスーターティエン     



 南禅寺大殿ナンシャンスーターティエン

      782 年創建。
      中国最古の木造建築。

  南禅寺の当初の規模はよく分
 からないが、莫高窟第61窟の
 『五臺山圖』にその姿が描かれ
 ていることを思えば、当時から
 よく知られた寺院であったこと
 は事実である。

  大殿は中間:脇間=3:2、
 柱総間11,725mmの方三間仏堂で、
 堂内に柱は設けられていない。
 内部の架構をみると、角の尾垂
 木を脇間中央部分まで持出し、
 その上に斗キョウが設けられ、
 その4隅の斗キョウを結ぶよう
 に桁が廻されている。その間の
 梁は二重梁とされる。

  外周部は、柱上に設けられた
 朴訥な二手先の斗キョウと二重
 の通し肘木、丸垂木の隅扇が単
 純な中にも力強さを感じさせる。
 柱には内転あり。

 中国古建築の中の逸品。





南禅寺から忻州シンシエン を経て太原タイユワン へ

  忻州には城壁趾が認められるが、馬城を除いてレンガは崩落していた。さらに、その
 先の太原界近くでは、五台山の友誼賓館裏の倉庫に見られたような磚石式窰洞が散見さ
 れた。                                    

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