ギリシア建築紀行

      道程:新東京国際空港(成田)→ヒースロー空港(ロンドン)→アテネ空港
          □成田フライト12:16。10時間余りの機上の人となる。       
          □セント・ピータースバーグ南方のシベリア上空から見た農場は、
           角型に割れた薄氷が寄り集まった池の如き様相を呈している。

                 
                       greek1=シベリア上空スケッチ

          □陽が昇るにつれ雲が上昇して、司会が遮られる。         
          □ヒースロー空港(ロンドン)ランディング時間は15:20。予定到  
           着時刻はロンドン時間16:00。アテネへのフライト予定時刻は 
           22:45。ロンドンにおけるトランジットの時間は7時間25分。  
          □3時間余りのフライトの後、アテネ空港ランディングはアテネ時 
           間3:50。                               

Athensアテネ

                 
                            grek0000=アクロポリスの丘

H.12.12.21     ホテル:クリスティーナ       レート:1¥=3.26Drs
          □7:30起床、8:30朝食(バイキング)。                  
          □水洗トイレではあるが、遺跡が多いことから排水事情が悪く、使用 
           済のトイレットペーパーを流さず、備え付けの籠の中に捨てるのは 
           中国と同じ。                                
          □ホテルの様子は中国とよく似ている。洗面台とその上に取り付けら 
           れた鏡台の位置関係が悪く、洗面台の中で顔を洗うことができず、
           肘から水が床に垂れてビショビショ。便器、トイレットペーパー、   
           浴槽の設置位置やその使い勝手なども中国の様子を髣髴とさせる。

      朝食後、ホテル目の前にあるギリシア正教会の写真撮影。名称は不明。
      11:45 Zapionザッピオン東のVass. Konstandinouコンスタンチヌス大<通り沿
      いにあるレストランにて昼食。眼下左にNaeos Olimpioou Diosオリンピア・ゼウ
      ス神殿、その遠方にAcropolisアクロポリスの丘のNaeos tou Parthenonosパ
      ルテノン神殿、右手にAthens アテネにおける最も高い丘であるLofos Lykavitou
      リカビトスの丘が一望される。                             

                 
                            grek0002=アテネパノラマ

Athens アテネの歴史

Athens アテネの歴史はBC2600〜600年頃が先住民の時代で、Acropolisアクロポリス
の丘は城砦として使用されていた。僭主ペイシストラトスの時にAthens アテネ神殿が
建てられ、聖域となって以降一般庶民が立ち入ることを拒否してきたが、BC480年の
ペルシャ戦争においてペルシャの侵略を受け、神殿は完全に破壊された。       
翌BC481年のサラミスの海戦、続くプラタイアの戦いでペルシァ軍を撃破したペルシァ
は、黄金期を迎えることになる。時の指導者ペリクレスは、総監督を彫刻家フィディア
ス、建築家イクティノスならびにカリクラテスを率いて聖域の復興整備を計画し、BC
447年に工事着工。BC432年にNaeos tou Parthenonosパルテノン神殿が再建された
のを初めとして、陸続と諸施設が完成し、聖域全体の整備がなされることとなった。
また、同時にBC450〜40年頃にはAcropolisアクロポリスの丘の北側裾野にはヘーファ
イストス神殿が建てられている。                                
その後、ローマ帝国の支配下ではキリスト教会として、1456年にオスマントルコによる
占領下に入るとイスラム寺院に改修されるも、その威容を2000年以上に亘って保ち続
けてきたが、1687年ベネチア軍の砲撃によりトルコ軍の火薬庫として用いられていた
Naeos tou Parthenonosパルテノン神殿は一瞬にして破壊、消滅した。        

                 
                          grek0003=古代アゴラパノラマ

Ethniko Archaiologiko Mousio国立考古学博物館  H.12.12.21訪問

         1866〜69年にルドウィン・ランゲー、ハンセンの共同設計によるネオ・
         クラシズムで、正面中央3本の柱のみイオニア式オーダーを採用する
         が、あまり感心できるものではない。                   

Acropolisアクロポリスの丘

         AthensアテネにあってAcropolisアクロポリスの丘が最も高いレベル
         の聖域とされた理由を類推するに、丘の独立性と海に対する視認性
         および北面に対する急峻性が大きく寄与しているものと考えられる。
         Athensアテネ最高峰のLofos Lykavitouリカビトスの丘よりも海からの
         視認性が良い。Naeos tou Parthenonosパルテノン神殿を中心として
         Akrotirion Sounioスーニオン岬のNaos Poseidonosポセイドン神殿と
         Eginaエギナ島Naos tis Aphaiasアフィア神殿とが二等辺三角形を形成
         し、沖行く船の灯台の役割を担っていたことでも、その地理的特殊性が
         確認し得る。                                  

Propylaeaプロピライア(記念的建造物への入り口)前門

 BC480年のペルシャ戦争においてペルシャ軍により破壊された後、建築家ムネシク
レスによってBC437〜32年に再建。外面は6本の太いドリア式のオーダー、内側は両
側にそれぞれ3本づつのイオニア式オーダー。                        
                 
                          grek0004=プロピライア

Erechthionエレクテオン神殿

 BC407年に建設されたもので、アテナ・ポリウスの神殿とポセイドン・エレクトゥスの
神殿の複合した形式を採ったイオニア式神殿。南側ポーチのカリュアテッド(女<人柱)
は美術的にも優れる。                                     
                 
                          grek0005=エレクテオン神殿

Naeos tou Parthenonosパルテノン神殿

 指導者ペリクレスのもとに、総監督を彫刻家フィディアスとして建築家イクティノスな
らびにカリクラテス等によってBC447年〜32年に再建されたドーリア式神殿である。
正面の柱を8本とする8柱式、側面17柱の周翼式で正面より側面の柱間を広くし、安
定感を演出。基壇寸法は梁間30.88m桁行き69.50m、柱長さ10.43mで10〜11個の石
の輪を積み重ね、梁間中央部で6.50m桁行き中央部で12.50mの起りを付している。
柱の比例、フリーズ等にはイオニア風の特徴を加味するなど、ギリシア建築の最高峰
と謳われるが、柱にはエンタシスと呼ばれる技法が用いられ、内転を持つ四隅の柱を
幾分太くし、基壇中央部に起りを持たせるなど、細かな視覚矯正手法を駆使している。
内部にはバラス・アテナイの女神像を祭る。                         
                 
                          grek0006=パルテノン神殿

Theatron tou Dionyssouデオニソス劇場

 BC6世紀に建設されたDionyssouデオニソスの円形劇場はギリシア最古の劇場。
その後、BC4世紀およびローマ皇帝ネロのAD1世紀に改築され、現状の姿となった。
その収容人員は17,000人。舞台正面に残る浮彫りはデオニソスの一生を描いた  
ローマ時代の作。                                       
                 
                           grek0007=デオニソス劇場

Archaia Agora古代アゴラ

      Acropolisアクロポリスの丘の北西裾野に位置する「アゴラ」とは「市場」を意
      味する言葉。古代ギリシア人はこのアゴラに集まって買い物だけではなく政
      治談義に華を咲かせたという。すなわち、古代アゴラは情報収集・発信基地
      としての機能が大きかった。BC6世紀頃より周辺に神殿その他の建築物が
      立ち並び、多くの露店が経営されていたとされる。               
                 
                              grek0008=アゴラ全景

Hefaisteion(へーファイステイオン)=テッシオン

 BC450〜40年頃の建築で、Naeos tou Parthenonosパルテノン神殿より僅かに古く、
鍛冶の神へーファイストスを祭ったドーリア式の神殿。嘗てはゼウス神殿とも考えられ
てテッシオンと呼ばれていたが近年へーファイストス神殿であることが確認された。 

Agii Apostoliアギ・アポストリ教会

 11世紀建設のビザンチン教会で、Archaia Agora古代アゴラ周辺に残る唯一の中世
建築物。                                              

Leron tou Olimpiou Diosゼウスの聖域

         現在、Pili Adrianouハドリアヌスの門の東側にNaos Olimpiou Diosオリン
         ピア・ゼウス神殿のコリント式列柱が15本遺る。ギリシアでは、ローマ時
         代の遺跡は新しいものとして余り意に懸けられない傾向があるが、この
         聖域も一般的観光コースには余り組み入れられることがないようである。
         近くにある、BC331年建設され1896年の第1回近代オリンピック大会に
         備えて1895年に復元されたStadionオリンピック・スタジオや新古典主
         義のイオニア式Zapionザッピオン(1874〜78年、ザッパス兄弟の出資に
         よるブーランジェとハンセンの建設)よりも軽視される傾向にある。    

Naos Olimpiou Diosオリンピア・ゼウス神殿

 シリア王アンティオコスがお抱えローマ人建築家のコスティウスに命じて建設をはじ
めたAthensアテネ最初のコリント式巨大神殿。途中工事は中断されるが、AD130年に
ローマ皇帝ハドリアヌスによって完成される。神殿は正面8柱式3列、側面20本2列、
計104本のコリント式オーダーが立ち並び、Naeos tou Parthenonosパルテノン神殿をも
凌ぐ壮大な建築であった。                                    
                 
                          grek0009=オリンピア・ゼウス神殿

Pili Adrianouハドリアヌスの門

 2世紀になって古いアテネの町と新しいアテネの町の間にローマ皇帝ハドリアヌスが
建てた門。門の西面には「ここはアテネ・テーセウスの古い都」、東面には「ここはハド
リアヌスの都、もはやテーセウスの都にあらず」と記されている。ローマの建築の常で
あるように、コリント式のオーダーは付け柱である。皇帝ハドリアヌスによって Naos 
Olimpiou Diosオリンピア・ゼウス神殿が完成されたのはAD130年。          

                 
                             grek0010=ハドリアヌスの門

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